もう一つの卒業式
もくじ
第二部卒業式
3月のこの時期あちらこちらで卒業式が行われていますね。
ほぼほぼ卒業生全員が集まり体育館で行われての卒業式。
式の後半には、卒業生全員の合唱があり、保護者の方々が目を潤ませるシーンも。
でも、その中に参加することができない生徒がいます。
学校に来ることが出来なかった生徒。いわゆる「不登校」といわれる生徒たち。
そして、学校に来ることは出来ても自分のクラスの教室に入ることが出来ない「別室登校」「保健室登校」と言われる生徒たち。
その生徒たちの卒業式が午後から別に行われるのが「第二部」と言われる卒業式なのです。
あそこにいたかった
昨年の卒業式。
3年間ほどんど学校に来ていなかったある女子生徒。
もうすぐ冬休みになるというある日、保健室登校をしていたその女子生徒と初めて会い、私と気が合ったのか「檀崎さんが来る日に登校します」ということに。
それから、その女子生徒は私の出勤する日に合わせて登校をするように。
そして、卒業式の日。
その女子生徒は「不登校」対象の生徒なので午後から行われる「第二部の卒業式」への参加予定になっていたのですが、朝から登校をしてきて「卒業式を見たい」と。
急な生徒の要望に先生たちは体育館の上のほうにあるスペースに椅子とストーブを準備してくれて
そこから、その生徒と一緒に卒業式を見ることに。
そして、式の最後、校歌斉唱の時、その生徒はところどころ校歌を口ずさみながら肩を震わせ、皆のほうじっとみつめながら一言「あそこにいたかった」と。
私は、その言葉が聞こえた瞬間、女子生徒の背中に手を当てながら、心の中で「そうだよね。皆と一緒に卒業したかったよね」と思いながら、涙が出そうになりました。
そして、その生徒は、ステージに上がって卒業証書を受け取ることは出来なかったので、午後から行われる「第二部の卒業式」で校長先生から卒業証書を受け取りました。
そして、今年も、数名の生徒が「第二部の卒業式」から巣立って行きました。
「第二部卒業式」の意味
「第二部卒業式」で卒業証書を受け取るのは、「不登校」「別室登校」「保健室登校」の生徒たち。
授業に出ることもほとんどなかったので、中学生で学ばなければならない内容の学習を会得できていない。そして、集団の中での人間関係も。
この卒業を「形式的卒業」ともいうらしい。中身のない形式だけの卒業。
この「形式的卒業」を経験したある男性は「自分にとって卒業証書はただの紙切れでしかなかった」と。
意味のある卒業へ
「あそこにいたかった」「ただの紙切れでしかない」
このような思いで卒業を経験した子どもたちにとって卒業はどんな思い出となって心の中に
残るのか。
大人になり、過去を振り返った時、決して良い思い出として思い出すことはないはず。
このような思い出として残らないように、自分も含め、周りの大人が更に「その子の立場になり、考え、協力しあい、サポートすること」をしていかなければならないのではないでしょうか。
未来を担う子どもたち自身のなかに、卒業することが意味あるものとして残るために。
宮城県在住。夫・大学3年生の息子・大学1年生の娘と4人家族。
私自身の子ども時代の親との関係性から常に生きづらさを感じると共に、病気を繰り返す人生。
45歳を目前に、重度ストレス症から大病を患い、自身の人生を見直したいと思い心理学の道へ。
その後、心理学の学びと、カウンセリング・心理セラピーを受けていく中で、生きづらい人生から生きやすい人生へと転換。
自身の経験(虐待、ネグレクト、いじめ、不登校、過食症、親の看護・介護)と心理学、カウンセリング、心理セラピーで、共感・寄り添い・伴走を大切に生きづらさを抱えている方をサポート。
「生きることをあきらめないでという願いをこめて」